福岡県 糸島のお宝

カテゴリー:まちなみ
投稿日:2017.5.13

福岡県 筑後エリア朝倉市の次は、古代のお宝にあふれる福岡県糸島エリア。
古代九州と朝鮮半島とのリアルな歴史的関係を感じた理由は?
大陸から日本を見ると、対馬・壱岐島は海の玄関先のよう。
そして、壱岐から日本への最適上陸ルートはFig.を見ても、伊万里湾・博多湾。そして唐津湾と一体化した糸島半島の入り江。
一方で、福岡北部の重要な古代遺跡を見ると脊振山地の麓で川沿いの場所。当時の海が内陸まで来ていたこともあり、居住および稲作適地は海が近くて川の水があり日当たりの良い山を背にした高台のようです。それを満たす場所が、地図上に〇を書いた福岡北部の3重要遺跡です。
◎福岡平野:須玖岡本遺跡
間にある山=油山・荒平山
◎早良平野:吉武高木遺跡
間にある山=飯盛山・高祖山
◎糸島平野:三雲南小路遺跡
弥生時代の幹線想定道路・神功皇后伝承地ルートもこの三つの地点を通してあるのがオモシロい。
糸島に行く前にまずは福岡市 吉武高木遺跡を見てみます。

福岡市西区の2100年~2200年前、弥生時代中期の「吉武高木遺跡」。
写真のように甕棺墓の数が圧倒的で、ここは弥生時代「日本最古の王」がいた場所との位置付けがされています。それまで平等だった集団に徐々に階層が出来だした過程が墓と服装品から読み取れるというもの。
そして、ある木棺から「三種の神器」様のセット、「銅鏡」「青銅製武器」「勾玉」の発見が、日本の歴史を見直すほどの福岡の立地のスゴいところです。糸魚川産ヒスイの装飾品も出ており、朝鮮半島および日本の広い範囲の交流を感じさせます。特徴的なのは大量の武器が出ていることで相当な戦闘集団であったであろうとの考え方も。
そして、40ヘクタールもある広域な集落の遺跡範囲の中に、当時としては大きな建造物の遺跡が出ており、かなりの力と文化レベルを持った集団の形成を知れる重要な遺跡のようです。
そして、最大の謎は「魏誌倭人伝」などの記録に残されていないこと。両隣の奴国・伊都国に吸収された可能性が書かれてますが、かなりの勢力を持っていたと考えるとおかしな感じです。何かの理由で(自然災害、利便性、経済性、外的要因など)ここから離れ衰退した可能性が考えられます。
早良(さわら)平野の語源は「ソウル」?
も話題になりました(ソウルの意味は知らないですが)笑。
写真の飯盛山は今も信仰の山ですが、弥生人と同じ風景を見ることが出来るのが、京都や奈良とも違うところなのかも。次は、飯盛山の南尾根を越える峠であり、古代街道説もある「日向峠」を越えた糸島平野の「伊都国」へ。

古代福岡の旅の終着地点は、福岡県糸島市。60haの「伊都国 王都」をかかえ、1000基以上の古墳が発見されている、古代遺跡の上に浮かんだ町のよう。「魏志倭人伝」に登場する国の都と王の墓が一致する貴重なエリアでもあります。糸島には弥生時代中期以降、伊都国は日本の国際交流の拠点、先進文化の窓口で、ここに来ると「伊都国」の突出した繁栄の様子がわかります。これは見聞の備忘録ですので、詳細は現地へGO!
〈三雲井原遺跡〉
王都とも言われる「三雲井原遺跡」で発掘された銅鏡の大きさと数はともに日本一で、「三雲(みくも)南小路王墓」は伊都国初代の王と王妃のお墓とされる。ひとつの墳墓から57面以上出土した前漢鏡の存在が、最高位にある伊都国王の絶大さがわかります。
〈平原遺跡〉
その後の時代の「平原1号墓」は、弥生後期(2世紀後半)。4.6m×3.5mの大木をくり貫いた木棺で内側に朱を塗ったお墓。
最大の見所は、国宝「超大型内行花文様」直径46.5cmと世界最大の銅鏡5面で、国内発見の数千枚の古代銅鏡の頂点にある。八枚の葉は世界唯一のデザイン。「伊都国」繁栄の象徴で古代日本国家成立の屈指の考古学資料とされる。
副葬品は胸に青いガラスの勾玉、ガラスのネックレス、中でもピアスは漢の貴族女性が身に付けたもので弥生時代としては珍しいとのこと。最大の謎は、39面ものわざわざ割られて納められた銅鏡。豊富な副葬品から、巫女的役割の伊都国女王の墓とされ、天照大神?卑弥呼?の説もあるくらい。
〈怡土城跡(8世紀)〉
古代山城は、国防拠点で「白村江の戦」で663年敗戦後、新羅の襲来を恐れ「大化の改新」で防人制度を設定。その後も、新羅との摩擦が続き、大宰大弐の吉備真備が756年から12年かけて築城した。当時の土塁が今も写真のように残る。
〈細石(さざれいし)神社〉おまけ
伊都国中心部の神社で、神功皇后伝承地ルートの伝説とつながるのかも。
〈なぜそんな北部福岡に〉
最後のFig.にあげましたが、船が身近な古代北部九州の海の民からすると、玄界灘でつながるプサンと、関門海峡経由 瀬戸内海の山口くらいが同じ距離で、壱岐島・対馬に寄港すれば朝鮮半島と九州は近くて便利でお隣さんとして自然に交流が生まれる関係だった訳ですね(福岡からは広島とプサンが直線距離で同じくらい)。
実は日本最古の縄文時代の稲作跡もこの海沿いにありまして、その研究者のこんな文章がありました「朝鮮半島南部と北部九州の関係について、この地域は国境の無い時代、継続的に交流のあった日本海文化圏の主要な地域であり、言語や文化・習俗の共通性にとどまらず、遺伝子の混交を視野に入れねばならない地域であったと言えるだろう」。そして、朝鮮南部には日本縄文人の居留地の存在までもが確認されているとのことで、この“原始的権益”が大和朝廷が任那に固執し「白村江の戦」まで及んだ原点ではないかとのお話しがスゴいです。以前ブログにUPした「朝倉の不思議シリーズ」の根本的な謎が解けてきそうですね 笑。
〈いとしま学〉
ここで驚いたのが、市民の皆さんの歴史を勉強する意識。重要な資料に「糸島高校考古学部」の名前が数々出てくるし、写真の「いとしま学(小学生版・中学生版)」は難解な考古学をここまでわかりやすくできるのかと出色です。糸島ではこんな歴史教育がおこなわれていて、それがたぶんその町にしかできないオンリーワンの「ふるさと教育」なのだと思います。
今 糸島が移住やライフスタイルの憧れのエリアになってきましたが、そこには脈々と住民の皆さんに根付いた″ふるさと″から始まる、揺るがない まちと暮らしがあるんだんなあと思いました。歴史教育をほとんど受けなかった福岡市に育った僕ら外から目線だからこそできた勉強が、糸島にはたくさんあるんですねえ。
糸島の皆さん有り難うございました。

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吉原住宅 代表プロフィール
吉原住宅有限会社
代表取締役

吉原勝己

1961年福岡市生まれ。1984年九州大学理学部卒業後、旭化成で医薬品の臨床研究を17年行う。その後吉原住宅に入社。
老朽ビルの再生が、資産価値向上と人のつながりを深める手段となることを確認する。