大津島にて

カテゴリー:まちなみ
投稿日:2017.9.30

叔父は27歳で海軍で本当の状況はわからないままフィリピンで亡くなり、九州大学工学部で人間魚雷『回天』をテーマにした映画『出口のない海』のロケがあったことを知って、回天が開発 訓練されたという山口県「大津島」を訪問しました。
もともと日本軍では酸素を活用した世界的優位な高性能魚雷が発明されていたことが、きっかけになってしまった先端技術開発と日本を守りたい一心が生んでしまった歴史のように思えます。
大津島の周りの海は訓練コースになっていて、もともと操縦の機能のない魚雷を人が動かす訳ですから、テスト 訓練で亡くなられた人もいました。しかも絶命するまでその魚雷内で事故記録を書き続けられてました。結果的に皆 20歳ほどの100人近くが作戦で亡くなられており、想像すると技術開発しながらの極秘作戦ですから、終戦後に家族に通知がされたこともあるようで、特攻隊とも違う知覧とはまた別の感情が湧きました。
海へ輸送するトロッコトンネルの品質はとても高く、回天が海へ降ろされた遺構は今もハッキリと残されてます。
市川海老蔵さん出演の映画の題名もあり、状況を見聞きするほどに息苦しくなります。
帰りの船からの航跡方向は回天の訓練コースで、この島は日本人が知っておかないといけないことが丹念に遺された島であることがわかりました。

新幹線徳山駅の目の前の港から「大津島」に渡ると江戸時代の石の歴史がありました。これは、毛利家の大阪城普請で大阪まで持って行かれなかった石。この島から相当の石が運ばれたようです。石切場と伝説的石工もいたことで、集落や港には なんだか味わい深い石垣が残っています。石の柱が何本も立ててある土地がありまして、石を家の柱に使った?物干し竿のための石柱?もありました。
また、十人塚がありまして、黒田藩の能古島の御用船の遭難供養がされた塚とのことです。それがきっかけで福岡市との交流が始まったそうで、きれいに管理されてありました。

 
瀬戸内の夕焼けは風が止まるんかしらんけど、ウチんとことは違うごたる。
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吉原住宅 代表プロフィール
吉原住宅有限会社
代表取締役

吉原勝己

1961年福岡市生まれ。1984年九州大学理学部卒業後、旭化成で医薬品の臨床研究を17年行う。その後吉原住宅に入社。
老朽ビルの再生が、資産価値向上と人のつながりを深める手段となることを確認する。