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朝倉と東峰の歴史と災害を自分の足で巡る

カテゴリー:まちなみ
投稿日:2018.9.16

朝倉「恵蘇神社」付近は日本の歴史のホットスポット。写真を見ればそのオーラ感が解ると思いますが、付近の景色は「三連水車」にその起点 筑後川「山田堰」。それは、1790年完成 朝倉の村の人たちが命がけで発明された傾斜堰床式石張堰で、今になって世界が参考にする江戸時代の土木技術。そして付近の歴史は、当時日本の一大事により朝廷が一時期ここにあったとされ、斉明天皇はこの地で突然の崩御によりお墓が作られた。母のことを嘆く同行していた中大兄皇子(天智天皇)の「月見石」が残る特別な場所。

いつもの登り口の松末地区は水害で、以前は豊かだった果樹園や林檎の直売所、田畑の景色が消えてしまう。毎春楽しませてもらっていた、あの平和な集落の花を咲かせる大木は生きてるかどうかわからないけど立っていてくれた。農村の自然かと思っていた景色は、何代にも渡って作られた人工の景色だった。今日も地区の皆さんは、村中の草刈をされていて、これからの景色を作ろうとされているようで。料理屋さん「秋月」はお元気そうで、残った物語がこれからとても大事になるのかもしれません。

災害で不通になった日田彦山線「釈迦岳トンネル」の入口「筑前岩屋駅」。新幹線以前九州最長のトンネルで工事に19年かかった。駅に渡る橋は流れて、鉄道ファンを良く見た踏切もレールに錆と雑草。家族でお世話になったことがある川沿いの温泉旅館は跡形が無くなって、浴室があった記憶の位置には浴槽のタイル跡が。

対照的に、英彦山の所領により室町時代からの石垣が残る宝珠山村 竹地区の棚田をはじめ、稲の収穫が家族の皆さんでされていて、稲作の逞しさスゴい。

隕石が奉られる神社や古の英彦山修行ルートなど不思議な話しが多いこの村。山が吹っ飛んだ「二又トンネル爆発事故」の件もあり、釈迦岳トンネルも歴史が消えてしまうと残念。JR英彦山駅‐JR岩屋駅間の釈迦岳トンネルを越える、砥石の欠片石がたくさんのマイコース「砥石峠」は閉鎖されていた。

小石原焼の陶板が地面に敷かれた峠道を登り、今回の最高標高の小石原から、江川ダム方面に降りるいつものコースへ。目指す経由地の一つが先生に教えて頂いた「やまめ山荘」。ずっと前から知っていたのに、小石原から下りスピードが乗る通過地点だったので、こんな山奥のこんな絶品料理屋さんのすべてが新鮮でした。

江川ダムルートは通行止めのため、朝倉に降りる山道にいろいろ分け入ってみると、あちこちで村の被害がスゴく、いきなり道が消える状況はショックです。ただ、元気な村の方々とお話しもできて、これから立ち向かわれる雰囲気が漂って、自分たちも頑張らないと。

行き止まりを引き返しながら、引き寄せられるように朝倉市黒川という山間の集落に入ると「共生の里」という小学校跡が現代アートミュージアムになっている施設に辿り着く。その屋上に、同級生で鉄のアーティスト寺田太郎くんの遺作となる「太郎の方舟」が。突然の作品との再会で時間を忘れて館の皆さんとお話しを。

するとこの地は1333年 彦山神宮の座主として後伏見天皇の皇子により「黒川院」が設置された場所で、歴代の彦山を治める座主の舘として14代280年間 宗教的中心地だったらしい。英彦山からはずいぶん離れて不思議ですが。以前見たことのある、英彦山~朝倉の不思議な登山ルートはその名残りだったんでしょうか。

校庭にたくさん転がっていた丸い大赤石は、先日の水害で山からたくさん転がって来たとのこと。恐ろしい災害のなか玄関前の作品たちが校舎を守ってくれたそう。

その山頂付近の岩屋権現の鳥居まで登ってみる。行けなかった急な階段の先には「針の耳」などの巨石群の修行の場らしく、この一帯が宗教的な意味を持っていたよう。珍しい丸赤大石が谷沿いあちこちに転がっていた。

下った筑後川は、柿の名産地「志波」の柿色の見慣れた集落で、最初の斉明天皇の墓所とされる「恵蘇神社」に繋がった、何かと天皇家につながる不思議なルートの経験でした。

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吉原住宅 代表プロフィール
吉原住宅有限会社
代表取締役

吉原勝己

1961年福岡市生まれ。1984年九州大学理学部卒業後、旭化成で医薬品の臨床研究を17年行う。その後吉原住宅に入社。
老朽ビルの再生が、資産価値向上と人のつながりを深める手段となることを確認する。