熊本県三角港

カテゴリー:まちなみ
投稿日:2019.3.2

JRの終点、港町の巻き貝ビルより降下してみる。

かつての恐竜楽園の離島ジオパークへ。路地の石垣や民家の庭石に化石があって、そんな「まちなか化石の家」は、散策で寄れば個人宅でおもてなしをしてくれるという。化石採石場や東海岸ではゴロゴロ化石が転がっていて、博物館でハンマーレンタル、120%の確率で見つかるという化石インフレの島。

白亜期の壁からは、日本最大級大型肉食竜カルノサウルス(全長10m)の骨。小島に全長5mの恐竜の足跡。勝山とここしか見つかってない、小学生が見つけたハドサウルスのウロコ状皮膚痕。 中学生が見つけた植物食恐竜の椎体骨に、イグアノドンの抜けた歯。

「化石の固まりに触ってみよう」の塊は、恐竜の糞だった 笑。

哺乳類では、象のステゴドン。日本最古の大型哺乳類化石コリフォドン。ここでは、恐竜や象・カバが歩き回っていた妄想が広がります。

それとは関係なく、島のおいちゃんたちの活気がスゴいんやけど。

トライアスロン大会で、一緒に出場していた間寛平ちゃんや、博多華丸さんと同宿で。露天風呂でゆっくり話した宿へ久々に。ホテルながら、料理人さんたち変わらず頑張られてました。

三角形の半島にある三角で出会った建物・土木たち。三角西港とは、明治20年 国費で造られた3つの近代港湾(仙台の野蒜、福井の三国)の一つで、しかも まちの一体形成が特徴。浮き桟橋などオランダの築港技術に、日本人の石工技術が生かされて。そんな、石積埠頭・水路・橋が原型のまま残され、唯一現存する。当時は、米・麦・硫黄・石炭が輸出され、特に石炭は三池炭鉱から上海に輸出するため重要。良港が無かった熊本に貴重な港だったとされる。

島原具雑煮食べたら、有明フェリーで長洲まで。車も乗客も子供たちもいっぱいで、島原半島と北熊本・大牟田はそうとう近い関係だったのね。
1638年「島原の乱」の激戦地「原城」。標高約30mの天然の要塞は、雲仙マグマより粘度の高い阿蘇大噴火による火砕流堆積台地として今に残り、想像以上に大きい。天草四郎 中心に圧政から逃れるために廃城に立て籠った島原・天草の広域領民・農民 3万7000人の女性も子供も全員が、幕府軍12万のうち1000人が ここで亡くなる。その後、全国からの移住政策がおこなわれたくらい、数ヵ月の乱の影響で、島原半島の人口が半減したとも(乱による島原半島の人口減少 2万5千人→1万8千人と書かれているものもあり)。ここから、キリスト教弾圧強化、鎖国へと歴史が動く。為政者によって抹殺された城や歴史や大量の庶民の命が、世界遺産をきっかけに知れることで、まちの人たちや九州人に、新しい思いが生まれるのかもしれない。今も天草四郎の墓碑やホネカミ地蔵にお参りが絶えません。
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吉原住宅 代表プロフィール
吉原住宅有限会社
代表取締役

吉原勝己

1961年福岡市生まれ。1984年九州大学理学部卒業後、旭化成で医薬品の臨床研究を17年行う。その後吉原住宅に入社。
老朽ビルの再生が、資産価値向上と人のつながりを深める手段となることを確認する。