福岡DIYリノベWeek太宰府チーム、川村知子さんにセッティング頂き、近くて遠かった素晴らしい太宰府体験。明治生まれのうちの博多のじいちゃんは「さいふさん詣り」と言って良く行ってたなあ。
早朝から崇福寺別院で座禅会(残念ながら欠席で、主宰の玄宝さんから座禅の意義を教わり共感する)⇒ 太宰府天満宮 朝拝 ⇒ 天満宮の味酒宮司さんよりご説明 ⇒ CoRicco Project Dazaifu の進化を見学 & カレーランチ⇒ 観世音寺の戸建てDIY見学 ⇒ 日吉神社さん(豊臣秀吉から歴史的いじめを受けてしまう)⇒ 観世音寺 ⇒ 戒壇院 ⇒ 僧正玄昉お墓⇒ 清水山弘法の池 ⇒ 大宰府政庁跡 ⇒ 水城跡。
きっと、このエリアは日本を代表する、ゆっくり泊まって訪れたい、歴史と生活を体験できるラグジュアリースポットになります。自分が訪れてなかったのも、歴史的価値が高すぎて学術的アプローチとイメージで固まりすぎているのかも。今回、歩いて、そして地元の方とお話したことで、こんなに楽しく癒されることが、これからの可能性なのかもしれません。道真公や歴史的な人たちと、今 行き擦りあった感覚が感じれる、そんな雰囲気に包まれた場所。
以下、視察メモ。
●味酒宮司さんは、道真公の御亡骸を牛車で引いた味酒安行氏のご子孫で、牛が動かなくなった場所が埋葬地。その上にあるのが太宰府天満宮。
●お話しから調べてみると、重要文化財の本殿は919年造営、小早川隆景により1591年再建。本殿は向拝という庇に唐破風がついて、その斜面が流れるような「流造(ながれづくり)」。そういえば、拝殿がなくて、本殿中央の「もや」にご神体が安置されている。
●そして、天満宮裏は道真公をお参りするための参拝所。個人と神様が分けてあるような感じです。
●水田天満宮、亀戸天神は建築様式比較のためにも行ってみると面白いとのこと。
●式年が9年後の大工事のためご準備が大変。福岡は国が認めた官幣社の数が日本で一番多いとのこと。
●近代では、太宰府には西郷隆盛・大久保利通の定宿もあって、月照さんのかくまわれた宿もあり。もともと大宰府天満宮は、安楽寺というお寺でもあったが、西郷さんから神社としての許可を得た。
●奥に、梅が枝餅のお茶屋さんがたくさんある辺りは、昔はお寺関係の建物だった。
●梅が枝餅は、地元民が官公に差し入れた味噌餅(粟餅)から始まった。
●江戸時代に寄進された麒麟像は、長崎グラバー邸のグラバーさんが欲しがったが断った。のちにグラバーさんがらみで創られたビール会社のラベルのモデルとなった。自分も小学校3年の遠足で見て、その芸術性に衝撃を受けた 笑。
●天満宮では130人近くの方が仕事をされていて、組織運営に興味が湧きます。
●僧正玄昉:奈良時代、阿倍仲麻呂、吉備真備とともに遣唐船で中国に渡り、玄宗皇帝によって三品に准せられ、紫袈裟を許された。帰国後宮廷で権力をふるったが、745年 世音寺別当に左遷。
●761年始まる観世音寺の戒壇院は、大和の東大寺・下野の薬師寺と並ぶ、日本三戒壇とされる。戒壇院の菩提樹は、700年代 鑑真和上が九州初の授戒された時、種が植えられた。
●観世音寺の鐘は、徒然草に出てくる妙心寺の698年日本最古の梵鐘「黄鐘調の鐘」と兄弟鐘。糟屋郡多々良で創られた。多々良の地名は、鑪があったところなんですね。
●清水山弘法の池では、ここを個人で守られているおじちゃんから御苦労話を伺う。こんな人たちがまちの価値を作っていた。
●ブラタモリでもやっていたように、大宰府政庁は巨大な城郭都市の中心だった。
●同じく、地名は「太宰府」。歴史は「大宰府」表記。にしては、石碑が「太宰府政庁」となっちゃった。
●水城は664年築造土塁で、663年白村江の戦いで敗北後、大野城・基肄城とともに築造された防衛施設。1.2㎞の人工土塁。土塁の博多側には60mの外濠、太宰府側には内濠があった。奈良時代には官道があり東門。九州自動車道計画時、景観問題が出たものの、切通しとなった。そのせいか、普通に見えすぎて、わざわざ見に行かない。
●政治機能を博多からわざわざ大宰府に移し、ここまでの防衛ラインが造られたのは、大陸・朝鮮半島から攻め込まれる恐怖から。当時の方が国際的な感覚の人々だったのかもしれない。